悲しみの中にある

お店の一角で、しこしこ集めてきたレトロ雑貨などを販売するコーナーを作っている。
この貴重な台紙付きデッドストックの栓抜きは、なかなか売れないけれどお気に入りの品で、いつか共感してくれる人に買ってもらえたらいいなと思いながら置いていたものである。
ついさっき、ふと視界の端に、ひとつだけ開封され取り出された栓抜きが写った。いつからなのかわからない。
悪意のない(そしてものの価値のわからない)無邪気な客なのか、悪意も邪気もあるsomebodyなのかは突き止めようがないが、とにかくこの品は壊されてしまった。
そもそもこの雑貨コーナー、お気に入りの雑貨や手作りステッカーなどを並べ、わたし自身がつくった肝入りのコーナーであり、ディスプレイにもこだわりがあった。
うちで間借りイベントを開催している学生に店を貸し出す際、このコーナーが配置されている台を彼女たちがカウンターとして使用するため、毎月その期間はわたしの並べた商品が仕舞われ、再度並べ直されるのであるが、それに関しても常々思うところがあった。
わたしのこだわったディスプレイの配置は、毎回その通りに再現されることがないのである。
値札を脇に置いていたはずの商品がぽつんとひとつ、価値もつけられぬまま置かれていたり、物の数が合わなかったり、紙製の商品を無理に立てかけて置いたことで折れ目がついてしまったりなど、毎回少しずつ「思うところ」の置き土産がされていたのだ。
今回、栓抜きのデッドストックが破壊されていたことをきっかけに、そもそも、このコーナーに何の意味があるんだろう?と感じてしまった。
同時に、間貸しの際のモヤモヤが、心の内で格納されていた場所から堰を切ったように溢れ出してきて、いま、この感情なのである。
わたしが価値のあるものとして扱っているものを軽く扱われたという点において、「破壊」と「再現してもらえなさ」は同等の力をもってわたしを悲しくさせる効果がある。
ままならぬことだらけなのが世の常ではあるが、あまりにもままならなさすぎて、自分がまともでいることが馬鹿らしくなってきてしまっている。
それでもやっぱり、またこの気持ちを格納して、自分ばかりは人を悲しませないぞという気持ちでやっていくしかないのであるが、やはり多少の膿を出しておかないと、いつか心が腐り落ちてしまいそうなので、こんなところで失礼します。膿を、絞り出しております。
見苦しくてすみません。
悲しいです。
褒められ日記

毎日日記をつけていたが、日々なんもできなかったな〜の繰り返しになってしまうので、やめていた。
たまたま観ていた映像作品に、「褒められたことだけを書く日記を書くと自信がつくよ」的な台詞があったので、なんか、そうしようと思う。
今日は、ちょっとお高めでなかなか伺えないレストランの方が、ひとづてにうちの店を「おいしいよね〜」と言ってくださっていた話を聞いたという褒められがありました。
ウキッ
8/22

あまり何も出来なかったが、昨日の反省を振り返るべく、セルフネイルをした。
これに関しては、良い出来。
8/20

製造作業をしっかりとこなした。
納品も間に合った。えらい。
8/19

非常に眠りの中にある。

